フリガナ: 氏 名: 一言PR: |
コバヤシ ヒロシ 小林 宏 桃屋さんののり平アニメーションと出会って40年。縁は異なもの味なもの。 |
昭和10年(1935)台東区谷中の産。
12月8日生れなので、3年間は誕生日に、日の丸が揚った。
昭和20年3月4日、爆撃を受け家は全壊。一家5人生き埋めとなるが、からくも掘り出される。
命にかかわる病気も何度かしたが、なんとか生き延びる。
1962年、テレビ CM 制作会社 TCJ (日本テレビジョン株式会社)へ入社。
虚弱体質人が、何も知らずに、メチャクチャ過激な現場に入ってしまう。
CM のコンテ描きを振り出しに、企画、製作、演出と何でもやらされる。
3年たらずで CM ・ 企画、演出家となる。かなり即席。
この頃、読売広告社扱いの桃屋さんの仕事と出会う。
超不規則生活が続き、体もあきれたのか、風邪も引かなくなる。
1966年、読売広告社へ移籍。 しかし仕事の内容は全く変わらず。
以来今日まで、桃屋さんの仕事をしなかったという年は、全然なし。
絵は、父が絵描きだったので、日本画の基本をほんのちょっぴり教わっただけ。
あとは全て見よう見まね。